◆雨上がりの和田山・竹田城跡は霧の中 [史跡・旧跡]
5月25日早朝(現地車中泊)、昨夜来の大雨があがり、和田山の『竹田城跡』大手門跡近くで目覚めた時はすでに辺りは明るくなりかけていた。
今年3月、京都市立美術館で開催された大判写真展の作品を見てあこがれていた竹田城跡である。
大手門跡を過ぎて急な石段を登ると、そこには昔を思わせる壮大な石垣風景が目に入ってきた。
写真は城跡の全貌ではありませんが、そのスケール感は見事でした。
■兵庫県朝来市和田山町竹田にある竹田城跡;
但馬守護大名・山名宗全が嘉吉年間(1441-43)に13年を費やして築いたと伝えられるが、山名氏の家臣・太田垣氏が五代にわたって城主となるも、天正五年(1557)、秀吉の二度の但馬征伐で落城、山名氏とともに太田垣氏は没落しました。
その後は、秀吉の弟、秀長が城代になり、以後城主も変わりますが、最後の城主、赤松広秀の時代、慶長年間、関が原合戦の後、城主広秀が家康の命で切腹させられ廃城となっています。
典型的な山城ですが、別名『虎臥城(とらふすじょう)』、また円山川の川霧でかすむことから『天空の城』の異名を持ち、国指定史跡となっています。
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■撮影機材は4×5(シノゴ)、69(ロクキュウ)アダプター、そしてブログに載せている作品のデジタル一眼NikonD300でした。
霧の中から武士(もののふ)が現れ出でそうな、そんな気持ちにさせられる幽玄の世界でした。
また、整然と積まれた石垣、木草の緑が、夜半まで降り続いた激しい雨に洗われて、古城とは思えないほどきれいでした。
城跡最高位にある望楼(天主跡)からの眺めです!
“S”字形に流れる円山川とたなびく霧が幽玄の世界を演出し、昔の城主の思いもこうだったかと、民の生業(なりわい)をしばし思っていました。
古城から望む近代の風景です。
自動車専用道路(播但連絡自動車道)の優美な橋が、霧の流れで見え隠れして、戦国の時代と現代をつなぐ、そんな夢の架け橋に見えました。
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