◆湖西湖辺(うみのべ)の道;大溝城跡を訪ねて [史跡・旧跡]
昔からお城が好きで、いずれお城と桜をセットにして全国撮影の旅をしたいとの願いを持っていました。
その願いは近くの彦根城しか実現できていませんが、いずれ現実のものにしたい願望は消えていません。
また、この2,3年、安土城跡、小谷城跡、大津市坂本の穴太(あのう)など“石垣”を写真にしてから、石垣の写真もシリーズ化したいなどとも考えるようになりました。
今回は、最近読んだ『近江歴史回廊;湖西湖辺の道』に出ていた、高島市にある古い城跡を訪ねてみましたので、紹介したいと思います。
もともと滋賀県は、歴史的にも北陸、関東などと京都の都を結ぶ重要なポジション占めていましたので、城跡の多さも全国でも上位にあり、その他古墳群など、古代~戦国時代の史跡・旧跡にはこと欠かない地域でもあります。
大溝城跡は石垣も崩れかけた荒城(?)に近い雰囲気でしたが、それだけに昔が偲ばれるひと時でした。
城跡と言っても安土城などのようなスケールはありませんが、はっきりと石垣が積まれた天守跡が残っていました。
城跡の看板、石碑の横にある石段を登ると天守跡の広場にたどり着く。
どこに、どんな天守が立っていたのか、広場に立ってみてもはかり知れませんが、間違いなくここに古き時代の生活の跡がありました。
天守広場を越えて城跡の裏側に降りて振り向くとこのような石垣風景に出会えます。
昔はお堀だったと思われる草むらまで降りて見上げるとこのような結構立派な石垣がありました。
『大溝城』は、織田信長、明智光秀などとも縁があって、その由来も詳しく書きたいのですが、書ききれませんので、冒頭に掲載の写真の看板を読んでいただくか、興味のある方はぜひ現地を訪れてください。
現地へのアプローチは、琵琶湖湖西の国道161号線を敦賀方面に向かって走り、湖上に鳥居のある『白髭神社』を過ぎて1Kmぐらい走ると左側に“乙女ヶ池”公園があり、そのはずれに城跡が存在します。
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