◆懐かしのオーストラリア『エアーズロック(Ayers Rock)』が入山禁止に [海外フォト]
1985年11月~12月、当時勤務した自動車メーカーの業務で真夏のオーストラリアを訪れたことを想い出しています。
最近のニュース、オーストラリア政府発表の『エアーズロック』入山禁止の情報は、少なからず衝撃でもあったが、先住民『アボリジニ』の民族的、歴史的な意味合いからは納得のできるものでもありました。
この巨大な岩山は、先住民アボリジニの聖地『ウルル(Uluru)』とも言われ、1985年に所有権が返還されていて、すでに夏季の入山は禁止されているが、今回全面的な入山禁止になる予定であると報じられています。
また、年間30人もの登山中の死者が発生していることから、安全面でも禁止の動きを助長しているようですね。
画像でエアーズロックを背に万歳をしているのは若き日の筆者です。
これは、当時オーストラリア北部の都市『ダーウィン』をスタートし、南部の都市『アデレード』まで大陸縦断の車両走行試験に参加しての、途中の休日の一コマです。
↓エアーズロック-2(1985年12月2日;オーストラリア)
エアーズロックは、現在も年間35万人の観光客が訪れているそうですが、登れなくなってもその雄姿は十分に観光客を惹きつけるような気がしますね。
オーストラリア最初の地は、シドニーでした。
一日市内観光をした後、空路車両試験スタートの地ダーウィンまで移動しました。
南半球のオーストラリアはまさに真夏で、気温40℃を超える熱砂の砂漠地帯を縦断しての車両耐久(耐暑)試験は、参加した人間の耐久試験とも言える過酷なものでしたが、今から思えばエアーズロックの休日を含め、結構楽しく、懐かしく思い出されるものである。
↓走行試験車列(1985年11月30日;オーストラリア)
延々と続くオーストラリア大陸縦断ロードで小休止する車列です。
この炎熱下での小休止は車両耐熱試験の一環でもあり、一定時間停車した後の“エンジン始動性”の評価を行いました。
オーストラリア最終の地は、歴史的な都市アデレードでした。
↓アデレードの町並み(1985年12月7日)
アデレードにはその歴史的な名所もあったりして、ゆっくり観光したい町でしたが、仕事の関係でそうもいかず、短時間の観光でした。
また、町並みは真夏のクリスマスの準備が始まっていて、ちょっと不思議な感じがしましたが、当然のことながらクリスマスが冬だということでもないのですね。
エアーズロックの入山禁止情報を知って、二十数年前の記憶をたどりながら記事にしてみました。
サイト運営し始めた者なんですが、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
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こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
HiEzz9Sh
by hikaku (2009-07-25 04:08)