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◆近江・秋の観光ツアー;その4(琵琶湖周航の歌資料館) [史跡・旧跡]

広島の地元で友人たちとコーラスや自分たちで企画したカラオケ喫茶などのイヴェントを楽しんでいるという従妹の話題の中に出てきたのが『琵琶湖周航の歌[雷]だったので、メタセコイヤ並木の帰路、高島市今津にある『琵琶湖周航の歌資料館[雷]を案内しました。
ところでこの歌は、
第三高等学校(現在の京都大学)に入学した小口太郎1917年大正6年)琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされています。
その後、吉田千秋が作曲した『ひつじ草』の
メロディに当てて歌われたのが定着し、三高の寮歌、学生歌として広まっていき、さらに加藤登紀子がカバーし、ポピュラー音楽として一般にも知られるようになりました。

なお同資料館では琵琶湖周航の歌としばしば混同される『琵琶湖哀歌[雷]についての展示もありました。
同曲は作詞を
奥野椰子夫、作曲を菊池博が行い、東海林太郎小笠原美都子が最初に歌いました。
琵琶湖でボート練習中に突風のため転覆し水死(琵琶湖遭難事故)した第四高等学校(現・金沢大学)漕艇部の部員11人を悼んで作られたとされています。
歌詞には琵琶湖八景が詠み込まれており、またメロディの半分ほどは
琵琶湖周航の歌の借用でもあります。
東海林太郎と小笠原美都子のデュエットでレコードが発売されたのは、まだ遭難者の捜索が続いていた最中であったそうです。

[カメラ]『琵琶湖周航の歌資料館』[バッド(下向き矢印)]DSC_6458.jpg

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『琵琶湖周航の歌;歌詞1~6番』[バッド(下向き矢印)]
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『原曲;ひつじぐさ』[バッド(下向き矢印)]                『琵琶湖哀歌』[バッド(下向き矢印)]
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私がこの資料館を最初に訪れたのは数年前、湖西の写真家で故人となられた『下澤忠夫[雷]氏の作品展のために訪れたのが最初でしたが、琵琶湖周航の歌の生い立ちを詳しく知るきっかけでした。
因みに、当時お元気なころの下澤氏に風景写真の基本を解説いただいた記憶が今も残っていますが、二度目に当館を訪れた時は同氏の遺作展が開催されていました。。


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斗夢

逗子開成中学校のボート転覆事故を歌った「真白き富士の嶺」がダブりました。
by 斗夢 (2011-11-29 05:29) 

ダイナミック・ヒデ

そうですね!
哀調を帯びた歌詞、メロディーは共通ですね・・・。
時おりカラオケで歌うこともあります。
『ま白き富士の峰』など、映画を見た覚えもありますが、確かな記憶は遠のきました。
小さな資料館ですが展示物も多く、お客さまも結構多いんですよ。
by ダイナミック・ヒデ (2011-11-29 18:09) 

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