SSブログ

◆乗鞍の帰路・草深き野麦峠を訪れて [史跡・旧跡]

 乗鞍紅葉フォトツアーの帰路に写友と訪れた『野麦峠』[雷]は、草深い山間の街道でした。
『野麦街道』の看板が立っていたので街道と表現しましたが、山中の狭い道は街道というには程遠いものでした。
もちろん私たちはその野麦街道を走破したわけではなく、自動車の走れる林道越えでした。

野麦峠と言うと、私などは映画でしか知らなかったので、その映画『あゝ野麦峠[雷]の場面を思い起こしながらその峠でひと時を過ごしました。

『草深い野麦街道』(by NikonD700)
DSC_6367.jpg

『石の敷かれた野麦街道』(by NikonD700)
DSC_6359.jpg
この石の街道を登ったところが峠だそうですが、時間の関係で登ることはできませんでした。

『あゝ野麦峠の石碑』(by NikonD700)
DSC_6365.JPG

『映画の一場面を再現した石像(あゝ飛騨が見える)』(by NikonD700)
DSC_6362.jpg
兄に背負われて野麦峠を越える妹“みね”の姿を再現しています。
“みね”は、この峠で懐かしい飛騨を見た後亡くなったそうで、この地近くにそのお墓もあります。

『峠に生える若いモミジの紅葉』(by NikonD700)
DSC_6364.jpg
峠のこの若いモミジも、その昔の“みね”の姿が想われるようでした。

資料館『野麦峠の館』と『お助け小屋』案内版(by nikonD700)
DSC_6366.JPG

帰宅後、古いVTR『あゝ野麦峠』とその続編シリーズをラックからとり出していましたが、まだ見るに至っていません・・・。


nice!(16)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 16

コメント 6

ため息の午後

乗鞍に続き、野麦峠ですか。 あゝ野麦峠は見ていませんが
女工哀史の物語ですよね。 明治の急速な近代化の裏に
悲惨な歴史があるのですね。 女工さんたちはどのような想いでこの峠を越えたのでしょうね。
by ため息の午後 (2010-10-03 18:37) 

ダイナミック・ヒデ

ため息の午後さん!コメントありがとう!
もし機会があればぜひ『あゝ野麦峠』をご覧になってください。心打たれて見るのが辛い気持になる場面もありますが、今日の平和な日本の礎にこんな厳しい歴史があったということを思い知ります。
この投稿記事を書きながら実は目頭が熱くなっている自分がいました。
年のせいかな?(笑)
by ダイナミック・ヒデ (2010-10-03 21:02) 

AZUMA

ご無沙汰しています。

NWさんから乗鞍行きを伺っていました。
いかがでしたか?

私は同じ時、ちょうど涸沢にいました。
10/1~10/3(つい先程帰宅)と3日間行って来ました。

10/2は北穂高にも登頂してきました。

涸沢はカールすぐ下がナナカマドの見頃を向かえていました。

写真は後日、私のブログでご紹介したいと思います。
by AZUMA (2010-10-03 21:22) 

ダイナミック・ヒデ

AZUMAさん、お久しぶりです。
涸沢に行っておられるのは聞いていました。Fk氏と一緒に遠くの山並みを見ながら、あの辺りがAZUMAさんの行かれた涸沢だねなどと話していました。
乗鞍山上にいた時、伊賀市のSsさんからTELが入りSILKYPIXのことで聞いてきましたが、私には答えられませんでした。AZUMAさんにもTELしたと言っていましたが・・・。
ぜひまたお会いしましょう!
by ダイナミック・ヒデ (2010-10-03 21:37) 

hieroh66

2枚目、ああ~女工哀史! どれだけ涙を流したことでしょう
明治は遠くなりにけり!
by hieroh66 (2010-10-04 10:20) 

ダイナミック・ヒデ

hieroh66さん!コメントありがとう!
女工哀史!ご存じなんですね。
当時の現場は、特に雪深い冬の野麦峠とそこに至る道中はきっと大変だったでしょうね。
今は、そこまで車で走って、その時代に想いを馳せていますが、どこまでその厳しさを理解できているやら・・・?
by ダイナミック・ヒデ (2010-10-04 21:20) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。